申請主義をどう乗り越えるか(前編) ―本当に辛い時こそ「助けて」と言えない―

NPO法人OVAは、福祉分野で「支援が必要な人に届いていない『声なき声問題』」が存在すると考えており、実態調査を進めて来ました。

そこから明らかになったことは、福祉の現場で「福祉アクセス」を改善することと、福祉制度の基盤にある「申請主義」を見直すことの2つの必要性です。

今回は、「社会福祉の現場からより良い社会を作る」ことを目的に活動する、NPO法人Social Change Agency代表理事の横山北斗さんと、OVA代表の伊藤が対談形式でお話をしました。

横山北斗

横山北斗

(NPO法人Social Change Agency代表)

神奈川県立保健福祉大学卒。社会福祉士。 日本福祉教育専門学校 非常勤講師(保健医療サービス)、中部学院大学 通信教育学部 非常勤講師(社会福祉概論) 。

大学卒業後、医療機関にて患者家族への相談援助業務に従事。

社会福祉現場には社会問題が山積しているからこそ、 社会福祉従事者が問題を解決するためのアクションを起こす必要があると考え、 2015年にNPO法人「Social Change Agency」を設立した。

伊藤次郎

伊藤次郎

(NPO法人OVA 代表)

学習院大学法学科卒業。精神保健福祉士。

人事コンサルティング会社、精神科クリニック勤務を通して「働く人のメンタルヘルス対策」に従事。2013年より検索連動広告を用いて、子ども・若者の自殺ハイリスク者を特定し、インターネットで相談を行う事業(通称:夜回り2.0)を開始。

日本財団「ソーシャルイノベーター」(2016)

AERA「社会起業家54人」(2018)

「福祉が届いていない」という問題意識

伊藤:NPO法人OVAでは、生きづらさを抱えた若者を対象に、検索連動広告を用いたアウトリーチとメールやチャット(SNS含)を用いた相談活動を行っています。
私達が出会う相談者の大半は、医療や福祉、様々な地域の資源にもつながっておらず、誰にも助けを求められずひとりで抱え込んでいる人です。

例えば抑うつ状態でパワーレスになり、法律家や医師、行政の相談窓口に自ら足を運ぶのが困難な人も多くいます。

人は本当につらい時こそ、助けを求めることが難しいのかもしれません。

なので私達はネットで相談を受けることで、助けを求める敷居を下げ、現実の様々な社会資源につながるのをサポートしています。

このように、誰かのサポートが必要な状況なのに、支援が届かずにひとりで抱え込んでいる人が多くいる状況を「声なき声問題」と呼んで問題意識を持っています。

今年に入ってから「インビジブルピープル※」という言葉が巷でよく聞かれました。
社会がソーシャルインクルージョン(社会的包摂)を掲げながらも、実際には社会的に孤立している人が確かにいる。
そしてそのような人は見えづらいという意味で、かなり似た表現だと思います。

※Invisible People(インビジブル・ピープル)

今年行われた71回カンヌ国際映画祭で、審査委員長であるケイト・ブランシェットが「大きなテーマはインビジブルピープル(見えない人々)だった」と発言。

日本では是枝裕和監督の『万引き家族』が受賞し話題となる。

横山さんは現在SociaiChageAgencyの代表で、病院などでも働いていた社会福祉の専門家ですね。
今は3000人近いソーシャルワーカーに向けてメールマガジンを運営して、様々な情報発信や提言をしています。

6月には「社会福祉制度は『申請主義の終焉』を夢見るか」というnote記事を書いて、とても多くの反応がありました。あれはどういった問題意識で書かれましたか?

横山:その記事を書いたのは、生活の困りごと抱えている方と福祉現場で日々出会い、制度利用の申請のお手伝いで感じたことを共有し、問題提起したいと思ったのが理由です。

社会保障制度は憲法25条(※)を体現するために社会に産み落とされたものですが、それに反するように、権利としての社会保障制度の利用を「申請主義」というシステムが阻んでいる
この矛盾をどのように考えて行くべきかという問題提起を込めました。

またシステムを批判的に見るだけではなく、現在の申請主義において権利行使が難しい人たちに対して、ソーシャルワーカーたちができることについても記しました。

※憲法第25条
生存権について規定。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に 努めなければならない。」

伊藤:初めて聞く人もいると思うので、申請主義について説明してもらえますか。

横山:申請主義は、「市民が行政サービスを利用する前提として、自主的な申請を必要とする」ということを指す言葉です。

「あなたはこの制度の受給要件に該当するので申請してください」と行政から声かけがされることはありません。

サービス受給要件に該当していたとしても、自分で情報を調べ、「申請」をしなければ、受給に至ることはありません
知らなかったから利用ができなかった、ということが往々に起こり得てしまうんですよね。

伊藤:自ら申請しなければ様々なサービスは受けられない。行政サービスの対象に自分が該当しているかどうかは、自分で情報を取得して、市役所に申請しに行く必要があるということですね。

権利は、その権利があることを本人が自覚し、行使するために申請しなければ生まれない。ならばそもそも権利があることを伝えないとですね。

また行政に限らず、全ての相談機関も同じですね。相談機関の情報を伝えないと、そもそも相談に行きようがないです。

知らされていないは「ない」のと同じ

横山:細かい話になりますが、例えば、社会福祉法第七十五条には「国及び地方公共団体は、福祉サービスを利用しようとする者が必要な情報を容易に得られるように、必要な措置を講ずるよう努めなければならない」とあります。

行政はホームページや配布物などを通して情報提供を行ってはいます。
しかし、自分がどの制度の受給要件に該当するか以前に、社会保障制度は複雑で、自身の生活上の困りごとに対してサポートしてくれる制度を見つけ出すこともまた難しいという状況があります。

申請主義は社会保障制度や社会福祉制度に限った話ではないのですが、社会保障分野における権利保障の観点から行政の情報提供の重要性については指摘されています。

伊藤:うーん。自分は自治体が発行している広報誌とかHPとか日常的にはほぼみないですね・・。郵便ポストに入っているチラシ等は、ほぼ見ずに即ゴミ箱行きですし(苦笑)。
若者は特に見なさそうなので、自分が利用できるサービスがあっても気づかないかもしれませんね。
私は高校の時、卒業アルバムを見て初めて学校にスクールカウンセラーがいることを知ったんですが、「知らされていない」ことって「ない」のと同じなんですよね。

とはいえ、行政側にたって考えると「市民全員に漏れなくリーチできるチャネル」は今のところ持ち合わせていないというのもあります。
またそもそも論ですが、行政に限らず、様々な相談窓口にしても相談が多すぎてパンクして疲弊しており、積極的に情報発信する余裕がないというのも感じます。

水際作戦とスティグマの問題

横山:例えば、生活保護には「申請保護の原則※」というものがあります。
ですが、生活保護の申請の窓口で水際作戦と呼ばれる行為(「働ける人は無理」、申請書類を渡さない等して生活保護の申請を阻止すること。)により、窓口に足を運んでも申請を受け付けてもらえないという権利侵害が過去何度も問題になっています。
国際的にも日本の生活保護の捕捉率※の低さは指摘されています。

※申請保護の原則

生活保護をうけるためには必ず申請手続きが必要だという考え。

生活保護法第7条「法による保護は、要保護者、その扶養義務者又はその他の同居の親族の申請に基づいて開始するものとする。ただし、 要保護者が急迫した状況にあるときは、保護の申請がなくても、必要な保護を行うことができる」と規定。

※捕捉率

生活保護基準以下の世帯で、実際に生活保護を受給している世帯数の割合。
つまり、保護が必要である世帯であるにも関わらず、実際に利用できている世帯の割合。

日本の生活保護の捕捉率は(研究によってバラツキはあるももの)20%程度以下と推計され、先進諸国と比較すると極めて低い水準にあると言われている。

伊藤:水際作戦は、いまだに行われています。
これは申請しに行って、色々言われて申請させてくれずに追いかえされる、ということですが、それは窓口に行った後の話です。

そもそも申請しにいくことすらできない、そういう雰囲気を社会が生み出す「心理的水際作戦」のようなものもあると感じます。これは、いわゆるスティグマです。

横山:そうですね。窓口での水際作戦に加えて、マスメディアなどによる生活保護へのバッシングを通して、制度を利用することを恥とする風潮(スティグマ)がつくられることも制度を利用するハードルを高めています

私が病院で出会った、ネットカフェで寝泊りをして救急車で運ばれてきた患者さんも「テレビで、若くて働ける人間は受けられないと聞いたので無理だろう」と思っていたそうです。
権利の行使にスティグマが生じている、ということも私たちがみなで考えていくべきことだと思います。

伊藤:本当にそうですね。スティグマが相談したり権利を行使をするのに足をひっぱっているんです。
私が今まで出会った生活に困窮している方には、若い人も含めて「生活保護を知らない」人はいませんでした。

ただ多くの人が「生活保護を受けるくらいなら死んだ方がマシ」って言うんです。
知っているからといって、相談や申請に行けるとは限らないのです。

それで、どうしてか聞くと「生活保護をうけるやつはダメなやつですよね?」とか返ってくる。
「なんでそう思うんですか」とさらに聞くと「ネットに書いてあった」と。

実際調べてみると、ネット上の掲示板に生活保護バッシングとかが載っているんですよね。
一部の人が書き込んでいるだけですが、これを読んでいるとだんだんと「社会のみんな」がそう思っているように錯覚してくる。

こういったスティグマにまみれたものに触れているうちに、段々と内在化※されてくる。みんなが思っているから、自分もそう思う、ということです。
窓口での水際作戦の前に、心理的な水際作戦を社会が生み出しているのではないかと。

だから私達は相談者のセルフスティグマを取り除くような介入をしつつ、支援をうけることへの動機付けを高めるようなかかわりを行います。
また、先ほどから話しているように、生活保護の場合はそういった心理的な障壁だけでなく、窓口での水際作戦もあります。
生活保護は「申請」しないと審査が始まらず、受給できません。

私達はそのようなことが起こらないよう、あらかじめ関係者に連絡して環境調整したり(ソーシャルワーク)することもあります。

しかし多くの場合は、情報を知っていても、相談窓口に足を運んで申請する、相談するまでに大きな障壁があり、行けずに孤立している人もいるんです。
このような構造は、生活保護に限ったものではないと思います。

なぜ子どもは「助けて」と言えないのか?

横山:そういったスティグマの問題は生活保護だけではないですよね。
OVAでは、子ども・若者たちの相談が多いですよね。
子どもたちを取り巻く環境はどうですか?

伊藤:例えば中学生とかでスクールカウンセラーを知っていても相談したくないという子もいます。
クラス全体で「スクールカウンセラーに相談するのって弱いやつだよね」「なんかダメな子」って雰囲気があると、相談室に足を運ぶのがとてつもない壁になるのは、想像がつくと思います。

子どもは大人の行動を観察学習して模倣します。
先生や親が、自らカウンセラーに相談して問題を解決する姿を見せてスティグマを軽減したり、スクールカウンセラーが昼休みに相談室を開放したり、相談室から出て子ども達と日常の中で話す非構造的な面接を多くするとか、そのような事をしていかないと、なかなか相談しづらいかと思います。

「The 支援」だと引いていっちゃいます。
「支援を受ける」って「イケている」ことじゃなくて「ダサい」という雰囲気があるためです。
そうなると当然、子どもたちはリアルの世界で「助けて」と言えなくなります。
SNSに裏垢をつくって吐き出すとかしてやり過ごすしかなくなりますよね。

そういったことを踏まえ、一部の若者支援を行うNPO団体では「支援臭をださない」ことが大事だという人もいます。
支援臭とは露骨に相談・支援感をださないということです。

横山:スティグマがあらゆる申請や相談の壁になっているわけですね。

伊藤:そうですね。申請する・相談する上で、市役所や相談機関が遠いとかそういう物理的な障壁より、スティグマのような心理的な障壁が大きいと考えています。

特に日本人の大人は相談する事を「弱み見せる」ことだと捉えている人が多いように感じます。
あるいは「世間に迷惑をかける」とかですね。そもそも相談するということは、自分の問題を他者の協力をとりつけながら主体的に解決するスキルで、ビジネス上も必要不可欠な能力だと思います。

また、なんらかの福祉制度を利用する事は恥ではありません。
誰しも人生の中で周囲の助けが必要な危機的な状況に陥ることはあります。
そもそも人間ってひとりで生きて行くことができない弱い存在だから、支え合うために社会を構成しているわけです。

支えたり、支えられたりするのが人間であり、社会を構成する意味だと思います。
社会保障は私達が支え合って生きて行くためにあるわけです。
それを恥だと言われてしまうと、生存権が脅かされてしまいます。

申請主義は「福祉のセルフサービス」か?

伊藤:行政の情報発信や国民の情報の認知の問題や、スティグマが申請や相談の足を引っ張るという話をしました。
仮に、申請しにいくフェーズになったとして、申請の手続きって結構難しかったりしませんか。

横山:そうですね。自分が社会保障制度の受給要件を満たしていることが分かっても、申請の手続き自体が障壁になる場合があります。

役所の窓口が午後5時までしか開いていなかったり、書類を記載する、申請に必要な添付書類を集めることが必要になります。

伊藤:9時〜17時だとサラリーマンは行けないですね。市役所に勤める公務員が「9〜17時だと行けない」という半分冗談めいた話もあります。アクセシビリティが悪いということですね。

横山:時間的にアクセスしづらい人もいるはずです。
また、認知症を患っている方や障害のある方、言葉の困難がある方(母国語が日本語でない人たちなど)のなかには、申請における手続き自体(書類を揃える、書くなど)も大きな障壁となる場合が少なくありません。

申請に行く前(複雑でわかりづらい制度を調べ自分が利用できるものを探す)と、申請に行く時(煩雑な行政手続きや制度の利用に付する社会的なスティグマ)で、多くのハードルが存在しています。

これが冒頭にもお伝えした、『社会保障制度は憲法25条を体現するために社会に産み落とされたものですが、それに反するように、権利としての社会保障制度の利用を「申請主義」というシステムが阻んでいるという矛盾』です。

伊藤:他人の力が必要な時なのに・・要するにセルフサービスということですね。

自分で調べて、自分で足を運んで、権利を行使するという。「そういう力がある人」という前提ですよね。

例えば、うつ病になってパワーレスになると自分で調べて役所に足を運ぶって結構しんどいと思うんですよ。身体そのものがだるくてしょうがない人もいます。
自分の身体じゃないみたく重くて、階段を登るのさえキツいんですよね。
人と話すのも億劫で、状況の説明や煩雑な書類の申請はできなくなります。

健康な状態の時に難なくできることでも、鬱になるとできなくなるんですね。

ただ、そういう時に申請しに足を運ぶ必要も出たりするんですが。
なのに一方で、社会保険料などの税は問答無用で自動的に給与から天引き・・。

本当につらい時こそ、助けを求められないことってあると思うんです。

サポートが必要な人こそ、サポートが遠ざかるという「声なき声問題」が申請主義によって生じてしまっています。

申請主義の課題を乗り越えるためには?

横山:「申請主義」には話してきたような課題はありますが、「では来年から全ての社会保障制度について申請主義を廃しましょう」ということもまた難しい話です。
申請主義に対して、行政側が本人の届出を待たずに処理を行うのを「職権主義」と言います。
行政側によるさまざまなデータの取り扱いと活用を含め「どの制度のどの部分からなら変えていけるのか」「変えていくにはなにが必要か」などの地に足のついた議論も必要だと思います。

伊藤:はい。私も「職権主義に回帰すべき!」とか「行政の怠慢だ!」と声高に糾弾するつもりはありません。
個人的には「年貢はわざわざ漏れなく取りに来るのに、新品の農具を支給する制度があることは教えてくれない。「城内の御触書に書いてありますよ」って・・知らないから。
「城内とか行かねーって!」みたいな不満はありますよ、個人的には。
とはいえ、クワをもって戦うみたいな暴力的なことは苦手なので、システムを改善したいんです。一揆2.0的な感じでいきたいです(笑)

ようするに不満だけ言っていても、問題の解決にならないと思うんです。これはシステムの問題ですから。
申請主義の課題を明確にし、それを解決できるシステムをどう社会で構築するかに焦点をあてたいです。「ポスト申請主義をどうつくるか」という議論ですね。

先ほども言いましたが、例えば地方自治体が市民全てにリーチする方法は、いまのところありません。
そうなれば作っちゃえばいいのではないか、という発想も出てきます。
また、オンラインで様々な申請や相談ができるようになることで物理的な障壁や心理的な障壁も乗り越え、アクセシビリティを高められると思います。

様々な社会保障制度へのアクセシビリティを高めれば高めるほど、社会保障費も増大するのは目に見えているので、コストも下げなければ立ち行かなくなります。

オンライン化するだけではなく、自動化、例えばスマートコントラクト(※ブロックチェーン上で契約をプログラム化すること)の活用なども考えられます。マイナンバーと結びつけて、一定条件にあてはまった人に一定の給付を自動的に行う、というような形があってもよいのではないかと思います。

後編に続く(10月31日公開)

2019年4月17日 追記:
その後、「ポスト申請主義を考える会」の公式サイトがオープンしました。
クリックして「ポスト申請主義を考える会」の公式サイト確認する

ポスト申請主義

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